根津と時々、晴天なり

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【読書】佐藤多佳子『一瞬の風になれ 第一部 ―イチニツイテ―』を読んで

 「一瞬の風になれ」

 まず、このタイトルがとっても素敵だと思う。

 

 「一瞬の風になれ」。うん。味わい深いというか。物語を読んでいるとさらに胸に迫る何かがあるタイトル。作品のタイトルについて深く考えたことはなかったけれど、じんわりとする素敵な言葉だと思います。

 

 佐藤多佳子さんの三部作『一瞬の風になれ』の第一部を読みました。

 

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

 

 目次

 

かつての私が感じていたこと

 私は中学生ぐらいにこの本を読んでいますが、手元に文庫本もあるのできっとお気に入りの作品です(私は一度読んで特に気にいった本しか手元に置かない主義なので)。文体がくだけていて、読書初心者でも読みやすい作品かな、と当時感じたような気がします。

 

『一瞬の風になれ』第一部を読んだ感想

紙コップと根岸のお店

 細かく具体的な描写が好きなのか、私のお気に入りの場面は「紙コップ」のところと「根岸のお店」のシーンです。自分で思うけど、妙に細かい場面指定です。普通試合のシーンとか合宿のシーンとかだろ?って思うけど(もちろんそういう場面も好き)。

 「紙コップ」ってのは、新二が初めて陸上の大会というものに触れた、陸上初心者の読者にも優しい解説場面です。それぞれ思い当たるところもあると思うのですが、人間の身の回りはたくさんの目に見えない「文化」で作られているよなぁ~と感じたところでもあります。

 唐突ですが、私はスターバックスコーヒーに行くのが好きです。お店に行くと、たまに「ここでアルバイトできたらなぁ~」って思うことがあります。ホットココアのトールサイズを頼みながら、想像してみるのです。私がレジに立つ店員さんだったらお客さんから注文をとって、レジを動かし、ドリンクを作る人がわかるように「ホットココア トールサイズ」をプラスチックカップにメモして、ドリンクを作る人に渡す。お金のやりとりをして、目の前のお客さんに案内をして「ありがとうございます」と言う。創造して、でも想像しきれないこともある。そもそもどうやって「ホットココアトールサイズ」ってメモしているんだろう(今は、シール状のものがプリントされてそれをカップに貼ってオーダーを可視化しているっぽいけれど)。ドリンクの作り方は覚えきれそうにないし、つまり言いたいのは「スタバの店員さんの文化は、店員さんになってみないとわからない」ってことで。

 新二が出会う「高校陸上の文化」は、今までサッカー漬けだった新二にとっては未知の世界で、大概の読者にとっても同じことで。だけどその文化をわかりやすく描いているなぁと思ったのが、新二にとって初めての大会の場面で。

 レースに備えて待機したり応援するための場所として、グラウンドまわりの芝生にテントを設置する。テーブルを置いて、バナナを置いたりドリンクが飲めるように紙コップをその上に並べる(この「紙コップ」が妙に記憶に残るのだ個人的に)。プログラムを買いにいって(そう「もらう」のではなく「買いに」いくのだ)高校の教員だけでは大会を運営できないだろうから、各出場校から運営の補助役として部員が駆り出されたり。へ~陸上の大会ってそういうものなんだ、とわかりやすくリアリティをもって描き出されているこの場面が、私は好き。ちなみに陸上ではないけれどスポーツをやっていた私も、大会では同じようなことをしていたので、余計にリアリティが生まれる。プログラムに自分の学校の先輩の名前を見つけてマーカーで線を引くのやったわ(笑)って。

 「根岸のお店」ってのは、ハードな合宿明けのとある休日の場面。真夏の夕方らしくこれから天気が悪くなりそうだなぁという「何かが起こるそわそわ感」と根岸の「恋がしたい」という台詞がいい感じに噛みあった素敵な場面ですが、それはさておき。新二は愛犬の散歩がてら根岸のお店(根岸ってのは部活仲間。実家はコンビニのようなマートを経営していて、店番中)にドリンクを求め立ち寄る場面。「ガラスケースからアミノサプリを取り出し」みたいな描写に、私はイチコロでした。何、アミノサプリって。突然現れた製品名にググッと来ちゃいます。

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アミノサプリ

  こういう固有名詞が登場することで、なんとも臨場感というかリアリティが生まれるのかな。他にも、新二の兄が天才的なサッカー選手(高校生だけど)であることを例えるために、「小野伸二」とか「中田英寿」とか名前が出てくるけれど、今だったら本田圭佑とか長友とかになるのでしょう?書かれた時代背景を感じます。小説だけど、自分が生きる現実とまるっきり切り離された世界ではないんだなって思えるというか…。この作品はそういうところが上手くて、マクドナルドのシェイクとか、町田のB&Dとか、妙にくすぐられるのです。だから好き。

 

新二の強み

 この作品は、圧倒的な天才が存在する作品で、その「天才」に対して自分はどう在り続けるのか、てのも見どころの1つであります。天才じゃない主人公の新二なのだけど、実際はかなり才能がある人物で、一般人の一般人である私には関係ないじゃないかとも思いたくなるけれど、私が好きなのは、新二が圧倒的天才(幼馴染の連や兄)がそばにいながら、自分の強みをしっかりと自覚してそれを生かしていく過程です。2~3部でどんどん進んでいくので、1部では序章に過ぎないけれど、どんなハードな練習でも食らいついていく負けず嫌いなところとか、食らいつけるだけのスタミナとか、練習できる真面目さとか。自分のできるところを活かしていくのって大切なんだな~って改めて思いました。その方が人生楽しそうだし。

 

「陸上」に出会いたい

 天才的な兄のようになりたいなぁと思いながら、まるで活躍できないサッカーに別れを告げ、高校陸上の世界にひょんなことで足を踏みいれる新二ですが、どんどん陸上の世界にのめり込んでいきます。走れば走る分だけ結果が付いてくる。始めたばかりなので練習をすれば結果が出る、ってのもありますが、新二の能力もサッカーより陸上の方が合っているということでもあります。そういう「新二にとっての陸上」みたいなものがあるのとないのとでは、生きていくことの楽しさとか刺激とかも随分と違うのかなと思いました。結果が出るということに囚われなくても、取り組んでいて心底楽しい何かがあれば人は生きていける、少なくとも生きやすくなるのでは?なんて。私も「陸上」と出会いたいようと思いました。「楽しいなぁ」とか「居心地が良いなぁ」という感覚は、しっかりと感度を高めに、アンテナのチューニングを合わせた方が良さそうです。これからもそういうものを積極的に見つけていきたい。

 

最後に

 第二部、第三部も読みます!(何回も読んだことあるけれど(笑)もう一度読みます!)