根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【アジカン】この言葉を支えに―ASIAN KUNG-FU GENERATION「迷子犬と雨のビート」―

 突拍子もないことを言うね、とは言われない。けれど、連想ゲームというか、つながりの部分は割愛して全然つながっていないことを、ぼんぼん挙げてしまうことは結構ある。私の頭の中は混沌としている。

 

 K-POP8割ぐらいのブログですが、なぜ今日のお題に行き着いたのか、そのプロセスを説明すると

 

元々私はASIAN KUNG-FU GENERATION(通称アジカン)のファンである

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で、アニメも好きである

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冬のアニメを見始める

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アニメ「四畳半神話大系」の再放送がされていて、録画したものを観た

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そういえば、アジカンがOPに採用されていたのだった

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「迷子犬と雨のビート」最高じゃん ←今ココ

 

 単純だけれど、以上の過程を省くといささか唐突な気もしなくもない。私K-POPも好きですけれど、それ以前に少年ジャンプ系の漫画やアニメを見て育った人間なのです。アジカンは避けては通れない道でありました。

 

 再放送VerのOPはアジカンの曲であるけれど違うアーティストさんが歌っているようで、それも新鮮味があって良かったし、サビで歌われているシンプルかつ力強いメッセージは、この時代を生き抜くための「お守り」のような存在ではないか!と感じさせるにあまりある曲が持つエネルギー。つい、こうしてパソコンのキーボードをカタカタせざるを得なくなったわけであります。

 

 

 現実世界で押し殺してしまう「○○が好きなんだ」という声。

 そもそも好きなものがありすぎて、そして、整理しきれていなくて、そして極めることができていなくて、それなのに好きだから始末に負えない。

 好きなものは好きだけど、本当に好きな人の知識には負けてしまう。熱量にも負けてしまう。

 「ちょっとずつ好き」。それが私の「好き」を表現するには良い言葉かもしれない。さながらビュッフェのように、色んな分野でちょっとずつ好きなのだ。

 そんな思考回路をそもそもどう伝えればわかってもらえるか、わかってもらおうなんておこがましくないか、そういう考えがぐるぐるしてしまって窒息してしまいそうな毎日。それでも生きていく他なくて、なんとかやっているわけで、この歌詞を見ていると、不思議と自分がこの場を続けていられていることも考えてしまうわけで。

 

僕たちの現在を

繰り返すことだらけでも そう

いつか君と出会おう

そんな日を思って 日々を行こう

 

 シンプルかつ力強いメッセージ。

 繰り返すだけの単調な毎日でも、いつか誰かと出会えるかもしれないから、とりあえず私は声を出し続ければいいんじゃないか。結果誰かと出会えなくてもそれはそれで。そんなことを考えた。 

 

 素敵な曲だ、ほんと。

 

迷子犬と雨のビート