根津と時々、晴天なり

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【読書】今日の私はどこかにつながると信じて/小川洋子『人質の朗読会』

 あの時読めなかった本が、今は読める。

 読書を習慣としていて嬉しい瞬間はいくつかあるけれど、昔は難しいと思っていた本が、今は難なく読めることができたときの実感も、嬉しい感覚だ。

 

 高校生ぐらいの時にチャレンジして、一応は読めたけれど、どこか読んだ感覚が乏しく、内容もよくわからなかったけれど、久々に再読して、その内容がちょっと面白く感じた。嬉しい。小川洋子さんの『人質の朗読会』を読んだ。

 『人質の朗読会』 

 遠く隔絶された場所から、彼らの声は届いた—慎み深い拍手で始まる朗読会。祈りにも似たその行為に耳を澄ませるのは、人質たちと見張り役の犯人、そして・・・・・・。

 

 物語は、地球の裏側で発生した人質事件から始まる。人質は旅行ツアーに参加していた日本人たち。その旅行の目的も職業も年齢も性別も様々な人たち、8名が、現地の反政府組織の人質になったのだった。

 

 この作品で衝撃的なのは、冒頭数ページで、人質たち8人があっけなく亡くなってしまったことが明かされていることだ。あまりにあっけなく、さらりとそのことが書かれているので、「ひどい」とか「悲しい」とか、そういう感情が追いついてこない。人質確保に向けた突入の際に爆発したダイナマイトに巻き込まれて、彼らはあっけなく死んでしまった。

 

 物語の中心になってくるのは、彼らが人質として囚われている際に、なぜか行われていた「朗読会」の内容だ。全員で8人分、+1人の「朗読」でこの『人質の朗読会』という本は構成されている。

 

 

 ここからは私の感想。

 不思議な作品だと思う。読んでいて、もはやこの話を紡いでいる当の本人は死んでしまったというのに、その事実がピンとこない。というか意識化されない。物語として朗読の内容はどれもが面白く、ちょっと不思議なものだ。もうそれだけでいいんだ、彼らがその後どうなったのかなんて本当はどうでもいいのかもな、と思った。物語だけ堪能すればいいのかな、って。

 

 この作品で私が好きなところは、人は生きていればどこかにたどり着くのだな、という感覚を得られるところだ。

 朗読の最後に、その朗読は誰によるものなのか、小さく付け加えられている。例えば(その人の職業/年齢/性別/旅行の目的)といった感じで。私はそれがとても好きだ。

 朗読の内容は、全てその人の過去の話だ。当時こんなことをしていた私だけど、こういうことがありました。基本的にはそういう内容。で、そういう過去を持つ人が今どういう仕事を持っていて人としてどう生きているのか、というのが、その最後の補足でわかる。それが嬉しい。生きていればどこかにたどり着くんだなってことがわかるようで。なんか嬉しくありませんか?今はたとえみじめでも、もしかしたら、未来はもっと明るいかもしれない。今はこんなに苦しくても生きていれば笑える日が来て、なんだあんなことなんて大したことないやって思える日が来るかもしれないってことでしょう?それが嬉しいのです。

 

 小川さんの作品はいくつか読んでいるけれど、ぼんやりしているというか、時間の流れがとてもスローな印象がある。はっきりとはしていなくて、高校生ぐらいの私はもう少し「味付けの濃い」作品が好きだった。なのだけど、今はそういう「ぼんやり薄味」の作品も嫌いじゃない。何故かというか、おかゆは身体の調子が悪いときに食べられるものであるのと同じで、「ぼんやり薄味、スローな」作品はどんなにしんどくても読むことができそうだからだ。苦しくない。むしろ日々のしんどさに寄り添ってくれる気がするからだ。調子が悪いときに、二郎系のラーメンは食べられないですから。ということは、今の私はちょっと薄味の本の方が良いのかもしれないなぁ。なんだか弱っているのでしょうか。

 

 私のお気に入りの朗読は、「コンソメスープ名人」かなぁ。料理って偉大、だと思いたいので。冴えない隣のお姉さんが、ひとたびエプロンの紐をぎゅっと結ぶと途端に別人のように輝き出す、みたいな感じが好きだ。

 

 

 『人質の朗読会』良かったです。これを機に、小川さんの本をたくさん読んでみよう。