根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

#101  聴衆を引き込む技術×熱量×自分の言葉 ―TED×サラ・ケイ「私に娘がいるとしたら」―

 「話すこと」が以前より少し苦手に思えるようになった。

 話せば話すほど、自分の中にある何かから遠ざかるような気がして、イライラしてしまうのだ。

 

 「私はこんなことを言いたかったはずじゃないんだけど」

 「これじゃあ、私の言いたいことはさっぱり伝わらないわ」

 

 そういうジレンマが、人と会話していると私を襲う。

 

 「話す」ということは、すごい瞬間的だと思う。言葉を口にした途端、もうその言葉はどこかへ行ってしまうから。取り返しのつかないことだから。

 といっても、こうして書いていることも、誰かに読まれた途端にどこかに行ってしまうものだけれど。だからこそ、表現するということは恐れ多いことである。

 

 

 そんなことを書いているが、先日とある場所で「治野さんはプレゼンがうまいですね~」「それに、尋ねたことに対して的確に答えておられる」ということを言っていただくことがありました。

 私は褒められると調子に乗るタイプですし、評価の言葉は自分の中に留めて、分析をするタイプです。話が得意なわけではないし、好きなわけでもないし、相手のニーズに寄り添って営業をするなんて芸当はできないと自負していますが、それでも私のプレゼンに何かあるのであれば、そのルーツは間違いなくこのプレゼンだと思っています。

 

 ということで、今日は私が好きなプレゼンテーションと私の「プレゼン観」についてお話しようと思います。

 サラ・ケイ「私に娘がいるとしたら」

www.ted.com

  

 TED、という講演会があります。

 正式名称は「TED Conference」。学術やデザイン、エンターテインメントなど様々な領域の人たちが、自由にプレゼンテーションを行う場です。

 専門的な知識はさほど必要ありません。英語での講演ですが、日本語字幕になって配信されているコンテンツも多いです。ありがたいお話です。

 

 私は、NHKでやっていた番組で、このプレゼンを知りました。

 サラ・ケイさんのプレゼンです。

 

 簡単に内容を要約すると、彼女は詩人、です。スポークン・ワードと呼ばれる手段を用い表現をする人です。つまり「詩を話す」人です。プレゼンでも2つの詩を発表しています。表題「私に娘がいるとしたら」とヒロシマについて話した詩です。自身が詩と出会い、スポークン・ワードという表現手法に出会い、どう変わっていったか。そのことについて彼女は語ります。

 

 詩というのは非常に抽象的というか、難しいと私は思っています。私はサラさんの詩をできれば原文から自分なりに訳して咀嚼したいくらい、理解が追いついていない部分があります。ところどころグッとくる表現があって、それが惹かれる理由でもあるのですが、私がこのプレゼンを好きな理由は、とにかく話し手のサラさんが活き活きとしていることと、聴衆を楽しませ引き込ませる演出がされているから、です。

 

 私が誰かに何かをプレゼンをするとき、いつも遠い先にあるのはこのTEDのプレゼンなのです。(もちろん、プレゼンの理想形だ~と言うつもりはありませんが。好みの問題でもありますし。)

 

 

その人の言葉

 サラさんの話し方には「熱量」が感じられます。それもそのはず。彼女は、詩の活動を素晴らしさを語る事を通じて自分のことについても話しているからです。

 

 

 「何かを話している」

 それがすごい面白く見える人が時々います。

 

 ブログにしても同じですが、私はそういう「熱量」みたいなものが好きなのだと思います。

 何かについて語らずにはいられない。それくらい何かがこみ上げてきて、何よりも先に出てきてしまう感覚。

 

 それが好きです。

 

 冷静でも激情のようなものが秘められている人はいると思います。外側にいかに発散させるかというよりは、内側にどれだけマグマがあるかどうか。マグマの温度が高く、濃い人の話は、それだけで何かを感じるものがあります。

 

 ということで、私は、何かを話すときはできるだけ「正直」であろうと思っています。きちんと自分の中で落とし込んで、自分の言葉にしてから話す。自分の言葉にする、というのはもう一度「自分事」として考えてみる、ということなのかな、と。

 

聴衆の存在

 サラさんのプレゼンで、いいなぁ~素敵だな~と思うのは、聴衆を引き込むトリックがあるということです。

 

 はじめに自身の詩を披露した後、

「あなたにとって、今「確か」だと思えること3つあげてください」

とアナウンスして、すぐに3カウントとります。

 

 人がしばし退屈に思うのは、一方的に情報を与えられていて、自分が参加することができていない状態ではないか。私はこう考えています。というか私が退屈に感じるときはそういうときです。

 自分の脳みそが動いていないと、本当に何事もつまらなく思える。

 それが私以外の人にも当てはまることであれば、サラさんの試みはすごい良いなぁと思うのです。一方的に詩を聞いたあとに、場面の切り替えも兼ねて「あなたはどう考える?」という機会を提供しています。

 

 ちなみに私がこれを書いている時点で「確か」だと思えること3つは

 

1.寒い時期にパソコンのキーボードを打つ指はぎこちなくて、まるでロボットみたい

2.喉が渇いて自分の体内がよどんでそうでちょっと気持ちが悪い

3.借りたCDを返すのを忘れていて、やばい延滞料金払わないとだ、泣きたい

 

です(笑)

 

 これを通して、彼女のプレゼンの共演者になるような、そういう気分が味わえます。

 

 プレゼンというのは必ず「相手」がいるわけで、相手をどう参加してもらえるようにするか、というのは大切なのだなぁと思いました。

 

 

話す事が楽しいというパフォーマンス

 言語は英語ですが、内容が分からなかったとしても私はこのプレゼンが好きになると思います。なぜなら、このプレゼンはある種の「ショー」だからです。

 

 パフォーマーである彼女は五感に訴えかけるような話し方をします。

 表情は豊かで、ジェスチャーを交え、声に抑揚をつける。何より話す彼女が楽しそうであることから、内容は前向きで希望に満ちたものであることがわかります。

 

 

 

 こう考えると、このプレゼンはビジネスとして使えるのかはともかく、表現として、ショーとして、とても参考になる題材でした。加えて、私の生き方そのものについても良いアドバイスをくれるプレゼンです。

 

 

 聴衆を引き込む技術×熱量×自分の言葉

 

 さっきも挙げたけれど、プレゼン以外でも当てはまることです。ブログなんかいい例。

 ま、あくまで「私の」好み、でしょうけれど、少なくとも私はこのようなことが好きで、自分も実践したいと感じるのです。