根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

#85 映画『聲の形』を観てきました

初稿:2016年9月17日(日)

加筆・修正:2016年9月21日(水)

 

  初めに書きます。

 このエントリーは、」明日以降もどんどん加筆・修正していくつもりです。「映画『聲の形』を観てきた」ということに関することなら、後日だろうがなんだろうが書こうと思っています。なんでそういう風にするのかというと、私にとって「映画公開初日に観た」ということは意味があることであり、それだけこの映画に対してわくわくドキドキしていたのであり、初日に「観てきました!」という記事を絶対挙げたかったけれどあまりにも内容が深堀できると思えるものであって、22時現在私の頭の中の全く整理がついていないためです。

 だから、今日(2016年9月17日22時現在)語れることはそんなにないと思う。あるんだけど、まだ磨き切れてない!そういう状態なので、よろしくお願いいたします。加筆したところはちゃんとその日付を書こうと思っていまする。

 

 前置き以上。

 

映画『聲の形』観てきました

 観てきました。

 本編が始まって、私が最初に思ったのは

「ハンカチ持っていけばよかった。なんで忘れたんだろ」でした。

 なぜなら、開始3分くらいで、もう目が涙で滲んでいたからです。

 なんつうか、綺麗だったんですよ最初から。絵が。それはわかっていたことではあったんですけど(京アニのアニメは観ていたから)表現がもう綺麗だった。綺麗だろうなぁ、このまま物語は進んでいくんだろうなぁ、と思ったら、ガツンときちゃいました。まさか、制作者側も開始5分経たず泣く奴が現れるとは思ってないだろうに。

 私が「泣く」という表現をするときは、純粋に「ドカーンとエネルギーにあてられた」ぐらいに解釈してください。私も自分の泣きポイントはわからんのです。

 で、それ以降も、まあ色んなところで泣けました。私は。

 

 ここで1つ言いたいのは、ここでは私の思ったこと・感じたことを言っているけれど、それと全くおんなじ感想を他人が抱くことはありえない、ということです。私がこれを書いているのは、自分が思ったことを再解釈したり再発見したいからです。だから、これを万が一読んでいる人がいて、映画に興味がある人がいて、観たい(もしくは観てきた)って人がいて、その人がこの記事を読むことに果たして意味があるのだろうか、さらに言えば、良いことはあるんだろうか?って思ってしまう自分がいるのです。

はぁ?って感じですけども。

 泣けなくても感動しなくても、良い作品だと思っても、もう一度観たいと思っても、いいと思います。ただ、それだけが言いたかった。

 

『聲の形』心揺さぶられたポイント

 以下、私が「キュウっ」となったポイントを挙げていきます。

①絵

 綺麗だった。とにかく。花が良く描かれていた気がする。あとから振り返って思うけれど、植物って季節の移り変わりを如実に表す存在なんだな、って思った。私は予告の

www.youtube.com

 コスモスのカットで心打ち抜かれたのですが、コスモス以外にも道端の花とかよくアップで描かれていた気がする。

 

シャツのタグ

(2016.09.21 加筆) 

 私が好きだったのは、将也の服のタグ!彼は高校生なので制服を着ていることも多いのですが普段着はチノパンぽいやつに無地のTシャツとかが多かった気がします。で、毎回Tシャツの背面の首元にあるタグが出ているんですよね~これが。それだけで将也の素朴さというか、おしゃれにまでは気が向かない彼の人あたりが伺えるものです。Tシャツのタグだけでなんかわかるものってあるもんだなぁ~と、思いました。

 

②声

 声優さんが素敵だった。今はただそれだけ。

(2016.09.21加筆)

  印象に残っていたのは、主人公・将也の声と親友・永束くんの声と、西宮さんの声と、将也のお母さんの声と、小学校時代の先生の声。

 まず将也と永束くんの声は結構声質が似ている気がした。あくまで「似ている気がする」ってだけできちんと比べると違うのだろうけど、あまり癖がなく私は「透明度高め」の声だと思った。色で言うと灰色って感じ。声でキャラクターの色が付くこともあるのだなぁと思うけれど、やっぱりそんな2人はどちらかというと地味で真面目で、っていう気がした。

 西宮さんの声は演技が素晴らしかった。

 将也のお母さんは、多分ゆきのさんだと思うんだけど(間違っていたらどうしよう)、あのカラッとした声が将也のお母さんぽくてすごい良かった。というか将也のお母さんの芯の強さがそのまんま声に表れていたと思います。

 で、この作品においてそれほど出てこないけどどうしても「なんだあいつ!」と思わざるを得ない小学校の先生。先生自身の生徒に対する無関心さと非情さが声だけでよく伝わった。なんだろう、多分抑揚がないからかな?すごいなぁ声優さん、と思った。

ミルフィー

 は、出てきません。物語中に出てくるとしたら、鯉にあげるやたらうまそうなパンと、西宮のおばあちゃんのしそジュースが印象に残っているな。あ、あとお好み焼きもおいしそうだった。

 ミルフィーユみたいに、いろんな層が折り重なってできた物語だな~なんて思いました。「層」という表現は、いささか的外れかもしれないけれど。原作7巻までの話をぎゅーっと詰め込んでいて、だからなのかどんどん物語は進んでいく。ちょっと咀嚼しきれていないのにどんどん進んでいく。色んな問題が提示されては次に映っていく気がしている。 

 健常者と聴覚障がい者との間の意思疎通の時間的ずれや表現のずれ

 教室で繰り広げられる、いじめる側といじめられる側、の構図の不安定さ

 自己嫌悪、自己完結をどう救うかという問題

 過去の過ちとの決別の仕方

・・・・ぐああああ!この時点でわけがわからない。色々と考えることが多すぎるのである。

 

私がこの映画を観たかったのは

 コミュニケーションって何なのかわからないから、でした。

 私は、この「聲の形」という作品を「健常者と聴覚障がい者が物語の基軸となって展開される物語」というよりは、「人類に共通する、相手とどう思いを交わすのか」という大問題について、考えさせてくれる物語だと思ってます。さらに言うなら、「将也という人間がどう自分を作り上げていくのか、再生してくのか」でもあり、その過程の方が実は今は気になるけど、まあそういうことです。

 

 私の中で、主人公・将也の行動が、まだまだつかみきれていないような気がしています。まだまだ読み取れない。それらが1本の線としてつながれば、もしかしたら「聲の形」がわかるのかもしれない。でもさ、わかるのは、「聲」って音だけでもないし手のひらで繰り広げられるものでもないしすべてが何かを伝えるものになりうるものなんだよな~。それはよくわかった。

 

 興奮冷めやらぬ終わりになっていますが今日はここまで。これからもっともっと考えてみます!

 それでは!