根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【RIIZE】Impossibleの翌々日にGuitarにドボン

 タイトルの通りですけど、本当に見事にドボンしたな。どうしちゃったんだろう。もちろんImpossibleを好きにならないとGet A Guitarにはまらなかったと思います。Impossibleもめちゃめちゃ好きなんですけど、まずはGet A Guitarを消化しないと先に進めない(RPGかよ)。

youtu.be

 この文章を書いている時点で把握しているのは、

  • SirenとGuitarとImpossibleは聴いた(他にも曲があるのは知っている)
  • ショウタロウとソンチャンは知っている、ソヒくんとウォンビンは覚えた
  • もちろんSMエンタのボーイズグループなのも知っている
  • ダンスが意味がわからんほどうまい

以上です。

 

Get A Guitar

MVの好きポイント

  • 長めの黒髪ウォンビンさんの絶対的エースっぷり
  • 往年のK-POPアイドルの流れを継いだ、これまた違うかっこよさのウンソクさん
  • 異なる2人のかっこよさを食らったところで現れるとどめのスンハンさん(ちょっとドボのケビンっぽいな、好きな顔だ~)

 なんか本当にMVの作りが巧みだなあ、デビュー曲?なのかな、ひとりひとりの尺をとって自己紹介されている感じだ。そしてそして自己紹介ひとつひとつの破壊力がえげつない。と、思ったところで、さらに、

  • さっぱり短め、ユノ先輩路線(路線?)の笑顔が素敵なソヒくん

この流れですよ。上手すぎんだろ。

 MVというかダンスの好きなポイントが明確にひとつあって、それはサビの後半で満を持してショウタロウくんが出るところなんですけど、今まで大ボス4人くらい倒して倒して何とかたどり着いた場所で、最強のラスボス登場、みたいな、とんでもないダンスをぶちかましてくるじゃないですか。このショウタロウくんを途中まで隠したまま十分すぎるほどのものがもらえて、なおかつ、ショウタロウくんにいい感じにバトンをつなげられるってのが、RIIZEすごいな~、と思っているところです。ショウタロウくんにまっすぐとスポットライトが当たって、他は影、みたいな演出もそれはそれで良いものかもしれないけど、あー、こういうことが可能な人材が(そして同世代が)SMエンタにはいるんだなー、すげーなー、みたいなことを考えました。

 あと、どうでもいいんですけど、MV1番のサビの後半、ショウタロウくんがセンターで踊るカットで彼が着ている服が、三島食品のゆかりの色にしか見えない(ゆかり好きなんです)。

三島 ゆかり 500g

 

 あと、MVでめちゃめちゃ好きなのは2番のサビですね。アントンくんとウォンビンくんが二人で舞台で踊るところ。もはやこれが好きでMVを何度も観てしまうと言っても過言ではない(もちろんそれ以外のカットも良いのは間違いない)。

 これはオタクの勝手な絡みなんですけど、Get A Guitarのアントンくん、SHINeeデビュー期のイ・テミン先輩意識してません?そんなのSMエンタのファンが放っておくわけないだろ。

 

THE FIRST TAKE

 ということで、休みの日の午前中ずーっとGet A Guitarを聴いていいかげん混乱してきたところで、

youtu.be

 これの存在を知る!公開されたのは4週間前!!(Get A Guitar自体は、2023年の9月リリースなので、この文章を書いている2024年4月からはだいぶ経過している)

 私の為の公開だ!(違います)。

 視聴。

 私「は~~~~~~~~~~~~~~」(歌うめえ~~~~)

 全員声がいい~~~~。天才~~~~。

 You play me like dun dun dunのところのハモリが好き~。ソンチャンとあと誰だろう、低音が効いてて気持ちいい~~~。そういや、NCTではラップ任されていたと思っていたソンチャン、今のところRIIZEではごりごりラップするわけではない、わけじゃないな?(Sirenという曲を思い出す)。あと、ばっきばきのダンスを踊るウォンビンが良い歌声で歌うのに感動した…この人逆に何ができないの。少し緊張した面持ちで音を追いかけるウンソクくんもいいし、柔らかく穏やかな雰囲気のショウタロウくんも、あと、二番サビのbaby~stillのところのアントンくん、めちゃめちゃ良い声だなーって思いました。飴細工を伸ばすやつを思い出した。力を等間隔に保ちながら声を引っ張り続けるやつ。ウォンビンが一番でそこを歌っているけれど、ちょっとざらっとしたウォンビンの質感に対してアントンくんの太い音が一定に保たれたまま伸びる感じの対比が好きです。何よりソヒくんの声がRIIZEの中でぱきっと目立ち、かつ、うまいのが嬉しいな。途中から緊張が解けている表情もいい。グルービーという表現がいいのか、リズムが音に包み込まれていて、すっきり気持ちよさがある。

 

 ある程度この曲の好きなところを言語化しました。これで、ダンスが全員そろってばっきばきなのが輪をかけてすごいな。

 

誰かの笑顔

 私は自分がいわゆる「オタク」ではないと思っていて、特定の何かに、ある程度の期間どっぷりつかることを意図的に避けようとしているところがある。ここ1年ぐらいは、イベントも行かなくなってしまった。チケットの当落に一喜一憂することもなくなった。元々チケットが外れればそういうものかと思って納得できてしまうぐらいの、深追いすることに伴う傷をなるべく浅くしようと努めたなれの果て。

 でも、もう7か月前とかそこらへんの、デビューの初々しさと緊張と嬉しさとを滲ませた彼らの表情は今見てもとても眩しく、活力をもらえるものだ。人間、どんな場所にいてもその瞬間から始められるわけだし。

 何が言いたいって、ここしばらく味わってなかった「誰かを見ることで(誰かの音楽を聴くことで)元気が出る」やつをやったな、ということだった。昔、そういうこともあった。それがまた今起こったというだけ。

 RIIZEの未来が明るいものでありますように。また、私自身はそういう外の美しいものを取り入れる余裕が持てますように。そういう願いを込めて、この文章を終わりにする。

 

【雑記】dietにまつわるエトセトラ

green dietという言葉を知ったのはXGのSHOOTING STARからだ。一般的な言葉ではない、スラング的な言葉だと思っているのだけど、察するに、グリーンを取り入れた(つまり野菜とか?)食事をしているのよ、と言うニュアンスか。dietの本来の意味的に、必ずしも野菜を中心とした減量生活、と考えなくてもいいきがする。

SHOOTING STARを初めて聴いたとき、まず引っかかったのがgreen dietで、なるほど、ダイエットというのはより健康的な(つまり自分の身体を過度に追い込むことがない)ものと、短期的に効果が見込まれる「激しい」ものがあるよな、と思って、以来「なるべく穏やかに減量する」という視点を得ることになった。

もう一つ視点の話をしよう。いつだったか、結構前になるけども、メイクアップの動画をたくさん出してるマリリンさんの動画の中で「自分のコンディションがいい体重というのがある」というような話をしていて、なるほど、と思った記憶がある。適正体重というと数値で決まってしまうものだけど、あくまでそれは身長を元に決まってくるもので、体格も異なれば食べる量も生活スタイルも異なる人間同士の「ちょうど良い体重」が同じであるわけはない。「ちょうど良い体重」がある、他人と比べられるものではないということをそのとき理解した気がする。

ここで書きたいのは、しばしば外から新しい視点を得るということだ。今回はSHOOTING STARという音楽だったりしたけども、読書から得ることもあるし美術展も漫画もアニメもドラマも映画も、ゲームも、本当に様々な場所から新たな視点を得る。視点は価値観と言い換えることもできる。

健康といえば、私が好きなロックバンドASIAN KUNG-FU NEGERATIONのボーカル・ギターのGotchさんのポッドキャストAPPLE VINEGAR - Music + Talkのこと)を聴いていると、「ヘルシー」という言葉をときどき聞く。Gotchさんの関心ごと(そして大切にしたいこと)と推察するが、「ヘルシー」という言葉も、私に新たにインプットされた視点だろう。もちろん、アンチヘルシー、のような気持ちもあって、健康を強く意識するがあまり、本来先行して存在している「生きる」ということが転倒することになっては元も子もないなとか、そういうことを考えているがそれはそれとして。

さて、こういうことを考えていたのは、ME:Iの新譜とそのパフォーマンスを聴いて観て思うところがあったからだ。とりあえず言いたい、Sugar Bomb最高。音楽のジャンルは忘れたけど、ボンボン跳ねるベースの音や浮遊感あるメロディが気持ち良すぎる。ボーカルもふわっとした場所もあれば、違うところではザクっとこちらを刺すような鋭さをはらんでいたりと、初めから終わりまで楽しい。

私は、ME:Iが生まれるきっかけになったProduce 101 Japanを観ていないのでメンバーのパーソリティはそこまで知らないのだが、&MEという曲のパフォーマンスが好きで、

youtu.be

特に桃奈ちゃんのスタイリングがいい、めっちゃかっこいい、気骨あるイメージ(それは私の勝手な印象なんですけど)とスタイリングがめっちゃ合ってていいじゃん、と思っていた。堂々とした佇まいと&MEの勇ましいイントロも合うよね。

番組当時からデビューした人たちの最新の様子を見るに、当時よりだいぶ痩せてしまったなあと思う人が何人かいて、それに対して心配するファンの声も多少はあるようだ。私も心配だし、何より「痩せればいい」「痩せているのがかわいい、綺麗」という考え方には反発したいので、「おい運営どうなってんじゃごらぁ、ちゃんとしたスケジュールでやってんのか、過度な食事制限させてないか、追い込んでないかあ??????」と言いたいわけだ。

さて、その時のアンサーとして「いやいや、本人たちの意思に任せていますので」というものがあるかもしれないが、個々人の内面に規範されている「痩せればよかろう」「痩せていればかわいい」思考に対して文句があるのだ。本人たちに何も非はない。

何を美しいとするかは難しい問題だ。美とされる容姿は時代によって文化によって異なるものだ。だから、「痩せててかわいい」その等式が成り立たないことは往々にしてあって、その上で私が考えているのは、あなたにそれを要請させるものは何なのか、ということだった。

ちなみに私が少し体重を落とそうと思ったのは単純で、服が着られなくなるからだ。あとは座って作業するときに贅肉が邪魔でうざいと思ったから。それに加えて、もう少し長期的な観点で考えれば、自分の生き方的になるべく疾病リスクは減らしたい、いつまでも自分の足で歩きたい、その為の体を作る習慣作りとして現時点で運動する癖を取り入れたいな、と思ったから。この動機からわかる通り、他人からの評価が動機に占める割合はかなり低い(ないとは言ってないが)。

それでも、私の外にあるものが私に痩せろと突きつけるものはある。例えば、健康で過ごすことが美徳という考え。いきいきとした生活というのはポジティブに捉えられるが、それもそれで一つの考え方に過ぎない。絶対の正しさではない。あとは洋服だって、どんな体型であっても心地よく着られる服があればいいだけ(そして多分見つからないだけで存在する)で、でもそうやって色々なものと衝突し考えた結果、私は少しずつ体重を落とす方向に舵を切ろうか、となった。

多くの人が減量したいなと思うとき、そこには何があるのかを考えることで見えてくるものはあると思う。あなたにそれを要請させるものは何なのだろう。痩せてないとかわいいと言ってもらえない、痩せているとかわいいって言ってくれる、そういう声なのだろうか。その声が意味するものについて、一考する余地はないだろうか。

また減量のジェンダーについても考えなければならない。過度な減量をすることが多いのは女性なのか、だとしたら何故なのか。男性の過度な減量もまた注意しなければならないのではないか。男性の場合は、減量とマッチョイズムが繋がりやすいか。減量してマッチョになることで、ストイックというイメージだったり勇ましいというイメージを呼び起こせる?

結局は人間、自分のやりたいこと(それが他人から要請されたものでそこに気づけなくても)をやるものだ。痩せようが、そうでなかろうが、何も責められる謂れはない。やりたいようにやってみればいい。

私のこの文章も、結局ひとつのノイズにしかなれないのかもしれない。でも、番組当時の時点でそこに出演している人たちは十分魅力的で、そのまま魅力を伸ばすこともできるはずだと私は思う。画一的にウエストを細くするより、それぞれの身体の個性が出たスタイルの方が見てて元気になるし、見てる側も参考になるからありがたい。痩せるなとは言わない。が、自分が自分らしく輝けるための手段は色々あるということを、伝えたいというよりは置いておきたかった、という文章。

【物】ヨガマット買ったら体重が落ちた気がする

題名の通りです。いつだろう、いつだったかヨガマットを買いました。ヨガはやりません。やるのは簡単な筋トレです。

今まで自宅で筋トレするときはフローリングの上で直だったのですが、タオルを敷くとか毛布を敷くとかでは得られない快適さがヨガマットにはあって、しかも私のこだわりポイントで、ヨガマットを敷いたまま一日を終えることができないので、眠るためにはヨガマットを巻いて片付けなければなりません。朝、ヨガマットをささっと敷けば、その日は必ず何か筋トレやストレッチをやらなければなりません(絶対ではないけど緩やかなルール)。自ずと毎日何かしらの筋トレや何かしら体をストレッチすることになり、それが体重の減少に繋がってると思われます。ただそれだけではなく、有酸素運動を毎週取り入れてるのも大きいでしょう。結局、食事制限をしなあのであれば、運動でカロリーを稼がなければなりません。良き。

今年買ってよかったアイテム、ヨガマットはその筆頭でしょう。最初はかなり抵抗がありましたけど。過剰?な健康志向、健康であるために〜でなければならない、という「ねばならない論」こそ、大きく見れば健康を阻害しているのではないか、と思うことがあるからです。ヨガマットは私にとって、THE健康的な生活、の象徴だった。でもそれもまた私の個人的な見方でしかなく、そういう思い込みは意識的に解除することもあっていいだろうと、買いました。ヨガはあんまりしません。興味があったらやってみます。

ここ数年、緩やかに体重を落としており、ヨガマットはその流れの一端でしかない。短期的に体重を落とす必要がないなら、食事を変えなくても

  • 毎日ある程度の歩数を稼ぐ(目安8000以上)
  • 8000は無理でも毎日歩くことをやめない
  • 何かしら筋トレする
  • 何かしらストレッチする

で少しずつ落とせるようです。少しずつの目安は3か月に1キロペースで、世の中に流布しているダイエットから考えればスローなペースでしょう。食事を制限すればもっとペースは上がると思うけど、私には無理。食べることを制限するなら運動した方がましです。

体重を落とすことを目標にするとこの期限感に耐えられないこともあるので、体重を落とすことを目標にはせず、自分が決めた生活習慣を維持すること、それを楽しめるように時々新しいことを取り入れることがおすすめです。そうすればいつかは(自分が望む期限内ではないかもしれないけど)体重は減ります。

この文章を書いたら、また体重のことを考えるのをやめます。久しぶりに「わー落ちたな」と数字で実感できたので嬉しくて書きました。秋ぐらいになったらまた蓋を開けて様子を確認してみます。

【音楽】散歩プレイリスト Spring 2024

 定点記録です。前回からストリーミングサービスを変更したことに伴い、散歩リストも一新。今後も期が変わるたびにリセットしてもいいのかもしれないと思っているところ。

dorian19.hatenadiary.jp

 

  1. 牛尾憲輔 sunlight(映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light)
  2. 米津玄師 LADY
  3. 蒼山幸子 PANORAMA
  4. 羊文学 more than words
  5. 春野 cash out feat. brb.
  6. ASIAN KUNG-FU GENERATION ソラニン
  7. 星野源 ステップ
  8. yonige 健全な朝
  9. Justin Bieber Yummy

 

 冬の高く澄んだ青空に似合う曲が多かった印象。ソラニンとかは冬の寒い日に聴きたくなるもの。

【音楽】とどめを刺して

 人間関係リセット症候群、なるものがあると聞いたとき、「私だって常々LINEを消したくなるし、人間関係じゃないけど突然思い立って日記を捨てたことある、そういう衝動があるのはわかるけど、まあうまい具合に軟着陸できたらいいよな」みたいなことを思って、だけど軟着陸できなかった、書き溜めていたEvernoteのノートを全消ししてしまいました。嗚呼。

 これは正直日記よりは後悔度は低いと思っていて、というのもまた色々できたらいいなと思っているからなんだけど、消したくなるときは消したくなるし、消したら気持ちがいいんだよな、と思います。ごみを一気に捨てるように、清々しさを覚えます。でも、それがとても健康的な心理状況で行われたことであればいいのだけど、そうでないとき、やっぱりそれは健康的じゃなくて、良くないことだと思います。そして、ある場合を除き、良くないと思っていることを赦す必要があると、思ってます。

 

 Evernote全消しをして、ふと思い出した曲があるので、そのことについて書きます。

 amazarashiの『とどめを刺して』という曲でして、曲を聴けば文意は各々解釈するだろうと思うので割愛して、


www.youtube.com

 このMVがとても好きで、あまりに具体的なリセット具合がお気に入りです。私はここまでやったことないけど、これぐらいはやりたいよな、と。

 リセットして生きのびられるならいくらでもリセットしていい。そもそもリセットしたくなる状況がおかしいですし、しかし、そのおかしさはなかなか消えてくれないから、死なない程度にリセットするなら、私は良いと思います。

【雑記】恋愛感情 is 何 の話

VERIVERYの'O'を聴きながら夜道を歩き、段々と鬱っぽくなっていくときの、泥沼に沈み込むような自棄と愉悦の感情はなかなか独特なもので、これだから私はこの曲のことが好きなんだよなあ、と思いながら、もうひとつ浮かんできたのは「寂しいのかもしれない」という感情で、前々から提起したかったことだし、提起しかけて辞めたことである「恋愛感情とは」ということについて、書いてみてもいいのだろうか。

 

という書き出しになりましたが、まあ考えてみてもいいかもしれないです。歩きながら考えてとりあえずの結論は「恋愛感情に限らず、私という人間はたぶん愛が足りてないし、愛を受け止められないのだ」ということでした。が、書きながら色々浮かんでくるかもしれないのでやっていきましょう。

 

さて、まずは恋愛感情というものについてです。昨今ありがたいことに「どうやら他者について恋愛感情を抱かない、あるいは性的欲求を抱かない人がいるらしいぞ」という認知が広がってきており「いや〜恋愛ってよくわからんのだよね」という考えは、昔よりは認められるようになったのかもしれない。

かもしれない、と言っているのは、「いや〜恋愛ってよくわからんのだよね」と思っていたとして、昔も今も「で?」という反応しか他人から得られなかった気がするから実感としてはあんまり変わらないのだよな、だからです。

さてここで言いたいのは「いや〜恋愛ってよくわからないのだよな」と私が今現在も思っているのは確からしいですが、それは私がアロマンティック(先に書いた他者に対して恋愛感情を抱かない人)を自認することとは別の話です。じゃあ私の考えは何なのかというと「んなこと、どうでもいい」です。ひとしきり考えてよくわからなかったので、あとは実践に任せるのみ、その時々で更新していきましょう、という方針になりました。もちろんこの問題をどう捉えるかは人それぞれであり、真剣に考える人、己の実存に関わる(つまりに生きることに密接に繋がっている)人もいて、それは尊重されます。この問題を矮小化したいわけではありません。ただ私の場合は、「自分は何者なのか」ということをどっぷり考え特定することに躍起になるより、他にやりたいこともやらなければならないこともあるということです。

なので、この文章を書く今この瞬間だけ私を仮に固定するならば「恋愛感情がわからない人間」とだけ、してみましょう。

 

恋愛感情がどうもよくわからないというのはどういうことでしょう。私の中で整理してみると

  1. 自分が他者に対して抱く感情のうち、恋愛感情と呼べるものがある(あった)かわからない

ということになります。常時この状態が発動しているわけではないですが、折に触れてこの思考に陥るのは結構疲れるというのが正直なところでしょう。直感的に「これは恋だ」と思えれば楽なのですが…。

パソコンやスマホアプリでいうと、時々予期せぬタイミングでアプリが勝手に立ち上がり、CPUの一部をひったくってバッテリーを消費させるみたいな感じですね。でもこれって、恋をしたことがある人でも陥る状態だと思っていますし、まあ、はっきりと数字でわかるものではないから仕方ないことだろうと思います。

私はよくわからないので、この辺り、具体的な事例を収集してとことん考えてみたいところではあります。でも悲しいことに、恋愛をする(した)ことがある人と侃侃諤諤と議論を交わしたことがありません。恋愛をする(した)ことがある人にとって大切なのは、今恋をしている人との関係性であり、これから恋をするかもしれない人といかに近づくか、出会うかになるからでしょうか。私が興味があるのは「そもそも恋愛感情とは何か」なのですが、その辺りニーズが違うのだろうなあと思います。

 

恋愛感情はよくわからないけど、これから恋をしたいかというとどうでしょう。正直よくわかりません。

恋愛に限らず、「この人だ」と全幅の信頼をおいて他者と関わることがよくわからないのかもしれません。他者を信用していないとも言えるし、いや、信用できないものだとも思います。信用できないというのは、十全に理解し切ることができないという当たり前のことなんですけど。

私の中で、人間関係というのは、内容の違いこそあれどれも均等であるべき、という風なのかもしれません。親友という言葉があるのはわかりますが、親友と親友じゃない友だちの違いはなんでしょう、私と誰かひとりそれがたくさん、の人間関係はどれも違うはずで、さらにそこに積極的に重みづけをする意味はあるのか。その重みとは何なのか、というのが私の考えていることのひとつかもしれません。であれば、恋愛関係という「特別」がいまいちぴんとこないのは、その通りかもしれません。たぶん私は、なるべく公平でありたいのでしょう、この辺はもう少し深掘りする必要があります。そして、この考え方自体はここまで整理されてなくても、小学校高学年くらいには感じていたことでした。

 

恋愛感情がよくわからない中で苦労したことはありますか?という問いには「ないんじゃないですかね」と答えておきます。幸いにも、身近な人たちから「あなた恋人はいないの?」ということを聞かれたことは一度もありません。また、他者から恋愛感情を抱かれることについては「ありがたいなあ」と思います。私がその人をどう思うかと、その人が私をどう思うかはまったく別のことだと思いますし。

 

難しいですね。なにより難しいのは、こういうことを誰かと考えることができないことです。なので、この文章を書くことで何か(何かとしか言いようがない)が開かれればいいなと思うし、これからも考えていきたいですね。

【雑記】時間のイメージとスマホゲーム

あんさんぶるスターズ!!Musicというスマホアプリゲームがある。ジャンルは音楽ゲームで、2022年から2023年にかけて結構叩いていて、それはそれはとても楽しかった日々なのだけど、iPadの冬眠と酷使(当社比)による動体視力低下の懸念から潔く引退した。でも辞めたいちばんの理由は、実はそこじゃなくて、あんスタ好きなんだけど、今も嫌いじゃないけど(そして嫌いになることもなさそうだけど)イベントのスケジュールにあると思うのだ。

話は変わるけども、私は決まった期間に区切られたスケジュール帳というものを使うことができない。

どういうこと?というと、例えば世の中にはたくさんのスケジュール帳があって、12月始まりとか1月始まりとか4月始まりとか10月始まりとか、開始月は様々だ。そして私は、開始月が決まっていて、かつ、終わりの月も決まっているのが、どうも我慢ならないらしい。じゃあどうしているかというと、無印良品のフリースケジュールノートを使っている。助かる。24ヶ月以上書き込むことができ、私のスケジュール帳は一年では終わらない。でも大概のスケジュール帳は一年と+αで終わる。そのことに私はいらいらする。

そのいらいらの根源は、年末年始が苦手ということとも関係するだろう。できることなら一年という単位で区切らないで欲しいのよな。生きるということは直線的に伸びていくものでもあるし、螺旋のようにぐるぐるするものでもある。大切なのは、生きるということの時間イメージを複数持ち続けるということ、異なるイメージを気ままに行き来することで、決まった期間のスケジュール帳というのは、螺旋的イメージを強固する効果があると思うのだ。

さて、ここまで書いて察しの良い方は気づくだろう。あんスタのイベントだ。

あんスタ内の時間というのは、イベントがあるときとないときを繰り返して進んでいく。イベントが始まるタイミングもおおよそ決まっていて、ああ、新しいイベント来たぞう、と胸高鳴る、飽きない工夫がされている。イベントの間隔が悪いわけではない。リズムが一定なのが私の中では駄目なのだ。

イベントは好きだ。音楽に合わせてタップするのが好きだ。でも、同じリズムでイベントがやってきて過ぎ去っていくことには耐えられない。一年の始まりが訪れ、終わりがやってくる以上に周期は短く、私の中の、時間に対するイメージはイベントがやってくる度に固定化されていく。きつい。

じゃあイベントをやらなければいい、意識の外に置けばいい。それもそうだろう。でも、私はやるからにはきちんとやるタイプなのだ。イベントのないあんスタは、ソフトクリームの乗っていないシロノワールと一緒だ。あのパン生地を溶けたソフトクリームに絡ませて食べるのが美味しいというのに。なので、シロノワールを食べること自体を、つまり、あんスタを遊ばなくなったということでした。

 

この話は、私がもう少し混乱せずに、折り合いをつけ、考え込まなければ、何ら不都合が生じない話である。そしてあんスタが悪いわけでもない。その証拠に、私は自身のスマホから、あんスタだけでなくあらゆるスマホアプリを撤去してしまった。イベントが無いものもあるものも、すべて。

 

あんスタのどのユニットも好きだけど、中でもお気に入りのSwitchのイベントが始まった。新曲は魔法をかけるSwitchらしいファンタジーな曲調で(特に序盤の逆先夏目の声は、吟遊詩人的な物語に人々を誘い込む歌声で最高だなと思った)私はそれを遊ぶことはできないけれど、良いものであるということに変わりはないのだ。あんスタに、スマホゲームに幸あれと思う。